このマンガがすごい!2008多分はてブ経由で60坪書店日記さんの意見をかわすより「ありがとう」って言えばいいと思うよ。という記事を読みました。
どっかの誰かのせいで、好きな作家の作品が読めなくなる可能性があるのは嫌じゃないですか?私は嫌です。今どっかの誰かのダメ書評のせいで『バカとテストと召喚獣』の執筆が止まったら、『はなまる幼稚園』の連載が止まったら、悲しいです。
なので、私は好きな作者に「ありがとう」と言うことにします。面白い作品を生み出してくれた作者に「ありがとう」と言うことにします。どーせ誰かがダメ書評を書くのです。ならば、好きな作家が誰かのダメ書評でへこまないように、日頃から蓄えてきた作者への感謝の気持ちを声に出して、勝手に作者を支えようと思います。作品を通じて手に入れた面白さやあたたかさを感謝の言葉に変えて、勝手に作者にお返しします。
これ、すごいいいことだと思うし、私も賛同します。悲しいけれど、どんなにすごいものを書いても、いや、逆にすごいものを書いている人ほど批判されてしまうもんなんですよね。
ある意味、有名税のようなものかもしれませんが、それでも批判なんてされたくはないと思うんですよね、作者としては。仮に嫌じゃないとしても、けなされるよりはほめられた方が絶対嬉しいんじゃないかと思います。
だから私も基本的には「この漫画のここが面白かったよ!」というところしかブログなんかには書かないようにしています。
ただまぁ私なんかは面白さに関しての沸点が低いようで、漫画を読んで「面白くない」と思ったことは一度もないんですけどね。
これは私の考えですが、漫画やラノベ、小説なんかについては基本的に全部「面白い」ものなんだと思います。
前も書きましたが、面白いと思えないのであれば、それは自分がその漫画なんかを面白く読むだけの実力がないだけで、作品自体が「面白くない」わけではないと思うんですよ。
その根拠としては、まず漫画もラノベも小説も商用として発売している以上誰かが「面白い」と思ったんじゃないかと思うからです。
誰かがその作品を「いける!」と思ったからこそ発売されているわけで、誰が見てもつまらないようなものは売らないのではないでしょうか。会社というのは慈善でやっているわけではないので、「絶対に面白いわけがない!」という作品を売るわけが無いはずです。
間違いなく誰かが「面白い」と思ったからこそ発売されているのだから、それを読んで私が「面白い」と思わないのであれば、それは私に向けて書かれているものではない、というか読むためのなんらかの資質が足りないんじゃないかな、なんてことを考えています。
これは漫画を楽しめる方が楽しめない人よりもえらいとかそういうことではなくて、音楽と同じで合う、合わないの違いでしかないはずです。
例えば私なんかは水泳を何年もやっていたので水泳に関する漫画で、タイムが伸びなくて悩んでいる描写なんかがあれば、ものすごい共感できますが、逆にそういった体験が無い人はそういった展開の話を読んでも「鬱な展開が続いて嫌だな」と思うかもしれません。
他にも私は剣道もやっていたのですが、冬の道場の冷たさというのはやっぱりやってた人じゃないと中々わからないと思うんですよ。
もちろん「そこを素人にもわかるようにするのが漫画家の役目だろ」という意見もあるとは思いますが、その作品自体がそもそも経験者向けに作られている可能性もあるわけで、そう考えると自分が読んだ作品がわけわからなかったとしてもそれに文句を言うのが筋違いなのかなぁ、なんて気がします。
デールカーネギーの『人を動かす』という本の一番最初に書いてあるのは「批判も非難もしない、不満も言わない」ということです。それだけ人間関係を円滑にするためには大切なことだと言いたいのだと思います。
ただ、ノンフィクションなんかで間違ったことを書いていたりだとか、他人のを盗作していることを指摘するだとか、そういったことはするべきだと思います。
私が言いたいのは単なる主観で作品を貶すのは止めた方がいいんじゃないか、ということだけです。
最終的な結論は引用した元サイトの方と同じで、「誰かの批判で私の好きな作者の人が書くのを止めてしまうのが嫌なので、好きな作品であればどんどんほめよう!」ということです。
それに付け加えるなら、「つまらないと思っても黙っていよう」ということです。自分が好きな作品が貶されたら嫌なのだから、誰かが好きな作品を貶すのはやめようよ、なんてことを思っております。

>>10 、11

通りすがりでコメントさせて頂きます。
全ては批評する者が一体どれだけの力
(作品を理解するにあたっての諸々の能力)
を持つのかが批評する際に明らかにならない
事が歪みを作り出している一因だと思います。
作者は作品を作る事で自らの能力を明らかに
しています。
しかし批評者は別に明らかにしなくとも良い
というのがこの世界での慣習になっています。
この時点でもうフェアではないのです。
もし批評者がフェアでありたいと思うのなら
可能なら限り、自らの能力を示してから
評するべきでしょう。
批評者も作者の作品相応の覚悟をもって
批評すべきというのが私、一個人の願望です。