〈海賊版〉の思想‐18世紀英国の永久コピーライト闘争


 ITmediaの作り手を“やる気”にさせる著作権とは――島本和彦氏など語る (1/3)や、地を這う難破船の尊敬と銭を読んで思ったのだけれど、お金を払って物を買うことができるってのは特権なんじゃないだろうか。
 確かこの考えは何かの本だかどこかのサイトに書いてあったことに共感して私もそう思っているのですが、元情報がどこに書いてあったのか失念してしまいました……。だから私が独自に考えた、というわけではないのですが。

 例えば私が一昨日の1月28日にGA-芸術科アートデザインクラスの2巻をお金を出して買えたのは、私の特権なんじゃないかと思います。
 いや、まぁこれは漫画に限ったことではないのですけどね。

 そう思う理由としては3つあって、1つは単純に「物が手に入ること」そして次のもう1つが「その作品を支えているという自負が得られる」ということ、最後の1つが「その作品が好きだと言うことを周りにアピールできる」ということです。


 最初の1つ目はホントに単に物が持てるってこと。自分のものであればどこにでも持っていけるし、好きなときに楽しめる。それがいくばくかのお金を払えば手に入る。
 それを作るのにかかった労力や手間に比べたらごく小額で見ることが出来る、というのはかなりの特権の気がします。


 2つめの「その作品を支えてるという自負が得られる」ってのは単純に私が払ったお金の一部が作者に流れてそのお金で作者はその作品(もしくは別の作品)を描くわけですよ。
 これは単純に私みたいに漫画を買ってる人だけではなくて、週刊誌に載ってるアンケートを毎週送ってる人なんかもそうだと思うんですよね。
 少年ジャンプなんかはアンケートの人気ランク順に掲載されて、何週も続けて下位にいると打ち切りになるという話(ホントかどうかは知らない)ですが、そうならないために毎週アンケートを送ってるわけで、そうしている人はそうすることで「自分がこの作品を支えている」という自負というか誇りと言うか、そういうものがあるんじゃないでしょうか。

 そういったものをお金を払うだけで得ることができるのは光栄なことなんじゃないでしょうか。

 献血ってあるじゃないですか。私も何回かやったことがある(けど毎回貧血を起こすからもう来るなって言われた(涙))のですが、あれはやると「自分の血が誰かの役に立つだろう」っていうなんとなく誇らしい気持ちになれるものです。
 それを得るためには自分の血を200mlなり400mlなり提供しないと得られないわけですよ。

 同じような話で、家族のために腎臓を1つ提供、とかそういう話も「自分の腎臓が家族の命を支える役に立ってる」なんていう自負を得られるけれど、そのためには腎臓を提供する必要があるわけですよ。

 そう考えるとお金を払うだけでそういった気持ちを得ることができるのはとても素晴らしいことなんじゃないかと思います。


 最後の理由である「その作品が好きだと言うことを周りにアピールできる」も、まぁ似たようなものですが、それを持っているからこそ周りにそれが好きだとアピールできるんだと思います。

 例えばジョジョがすごい好きだ!と言っている人が3人いたとして、1人は漫画は単行本も文庫版も全て持っててグッズ(この前発売された百人一首とか)なんかもいくつも持っていて、荒木先生が載ってる雑誌なんかも全て買っている人と、単行本(ジャンプコミックス)だけは全巻買っているけれど、その他は持っていない人と、漫画を1冊も持っていなくて、友達の家で読んだだけで「好きだ」といっている人の3人だったら、客観的に見れば一番最初の人が一番「ジョジョ好き」なんだろうな、と判断されると思います。
 もちろん持ってるからといって持ってない人より好きかというのは本質的にはわかりませんが、まわりの人から見れば、よりたくさんの物を持っていたほうが、よりその作品が好きなんだろうと判断するのではないでしょうか。

 

 そう考えると、私もそうだし、私の周りにも何人かいるし、これを読んでる人の中にも何人もいるとは思いますが、買うだけ買って中身を見てない、いわゆる積読が何冊もあったり、積みゲー(買うだけ買ってやってないゲーム)とか、積みアニメ(買うだけ買って見てないアニメDVD)があるってのはもう、ある意味究極の形ですよね。
 1つ目も2つ目も3つ目も全て満たしてしまう。
 作品を作った側としては当然読んで欲しいだろうとは思いますが、中身を見ないでもそれに対してお金を払える、というのはある意味信頼関係のようなものが構築できているわけで、それってすごい、よっぽどその作品に対しての強い気持ちがないとあまりできないことです。

 だから、みなさんもどんどん積読をしましょう!
 ってあれ、なんか違う……か……。