放課後保健室 (1) (プリンセスコミックス)


 なめてた。ホントに。見くびってた。この漫画の実力を。
 最後まで読み終わった後はあまりにも興奮して(性的な意味じゃないよ)しばらく寝付けなかったほど。

 それがこの放課後保健室。全10巻。

 そもそも私がこの漫画を知ったのは、昔に書いた「エマを推薦するアメリカ人達(よつばとも)」という記事に書いてあるのですが、アメリカの米国図書館協会がティーンに読むことを薦める漫画のTop10に入っていたからなんですよ。
 米国図書館協会の12歳から18歳までのティーン世代の読書活動を支援するヤングアダルト図書館サービス協会は、ティーン世代に向けた2008年のお薦めグラフィック・ノベルのブックリストを発表した。
(中略)
 この推薦図書は43作品からなる全体リストと、そこからさらに絞ったトップ10に分けられる。このトップ10には、日本のマンガからはビクトリア朝のイギリスを舞台に階級制度を超えた愛を描く『エマ』(森薫)や『放課後保健室』(水城せとな)、『いばらの王』(岩原裕二)の3作品が選ばれている。(アニメのニュースと情報)


 これには他にもよつばとなんかが入っていて、よつばと好きでエマ好きな私はそっちのことばかりに注目していました。
 逆にこの放課後保健室については、書いていた当時はそんなつもりはありませんでしたが、今読み返してみると「えー、よつばとを差し置いてこれがTop10かよ」みたいな感情があったんじゃないかと思います。
 こんな表紙の絵をホントに子供にすすめていいのか的なことを言ってるわけですよ。
 もう馬鹿。ホント馬鹿。過去の俺はホントにバカだ。
 でも、それでもこの漫画に興味を持って買うことに決めた俺には拍手を送りたいです。よくぞ買った。この漫画を読まないで過ごすIFの自分を考えると「人生の7.3%ぐらい損してる!」と突っ込みを入れてやりたくなります。

 ハッキリと言えるのが「この漫画はまさしく多感なティーンエイジャー(13〜19歳)が読むべき漫画」です。大人になってからでももちろん楽しめますが、若い頃の方がより楽しめる、というか身近に感じられるんじゃないかと。
 逆に13より下の人にはまだまだ早いと思います私としては15歳ぐらいから高校生ぐらいまでが一番楽しめるんじゃないかと思いました。

 この漫画は「あなたの職場のイヤな奴」というビジネス雑誌風に言うと、『クソッタレの自分と向き合うこと』『自分はクソッタレだと認めること』と言ったような漫画です。

 誰もが持っている「クソッタレ」の部分、クソッタレとは自分で自分がクソッタレだと思っている部分、をむき出しにして、戦い、そして勝ち残り鍵を手に入れることで卒業できる学校のお話。

 そこには思春期のころなら誰もが出会う、自分の中にいる最悪の自分との出会いが描かれていたりもします。
 違う、違うんだ、自分はただ自分のことを認めてもらいたいだけなんだ。
 私たち仲良しだったのに、どうして後からきたあんな子と仲良くするの!私がいるじゃない!もっと私と仲良くしてよ!
 お父さん、お母さん!私を見て!

 その中でも主人公の一条真白(いちじょうましろ)は一際特別で、彼は上半身は男なのに下半身は女という特別な体の持ち主なんです。
 でも自分は男だ!と思い込みながら生きていた、でも生理が始まってしまって、目覚めていく女としての自分、女の子に惹かれる自分、男の子に惹かれる自分。
 男と女の中で揺れ動く、ある意味主人公は男でもあり女でもあるわけで、誰が読んでも主人公に自分を投影することができる。そして一緒に苦しめる。

 女から辛辣な言葉を投げつけられて男として苦悩する真白
 男から辛辣な言葉を投げつけられて女として苦悩する真白

 男には男の苦しさが、女には女の苦しさがある、男でもあり女でもある真白は男としても女としても苦しみ続ける。

 そういうティーンエイジャーに許された『自分のことだけ』考える時間の中でどう成長するか。
 一条真白は無事に『卒業』できるのか。『卒業』するときには彼(彼女)の悩みは全て解決するのか、他の人たちは?蒼は?紅葉は?彼、彼女らの心の問題はどういう風に終わりを見せるのか、『卒業』をするのか。
 そういうところをドキドキしながら見ていく漫画です。


 だと思ってました。


 私が考える、素晴らしい話、の1つに「最後の最後にパラダイムシフトを起こす話」というのがあります。具体例を言うなら「明日の記憶」を書いている荻原 浩先生の「」のような話。
 この話は最後の最後で「え? ………えーーッ!!」と思わせてそのまま終わります。最後の一行で。
 そしてその後については我々読者が想像するしかない。この噂の場合は投げっぱなしなので残りの部分は全て好きなように想像できるともいえます。

 キャッチボールでたとえると急に相手が大暴投して、必死にボールを追いかけて、拾って、投げ返そうとしたらすでに相手がいなかった感じ。
 残った私はそのボールをどうしようと自由。投げ捨てて帰ってもいいし、壁にぶつけて一人でキャッチボールをしてもいい。誰かやってきた人とキャッチボールを始めてもいい。


 この放課後保健室をキャッチボールにたとえると、「こっちが返すとしっかり受け取ってくれるのに、明後日の方向に投げてくる」感じ。9巻までは。
 またこっちがボールを追いかけていって、拾う、相手は待ってる、投げ返す、「しっかり投げてよ〜」あなたは元の位置に戻る、相手はボールを投げる、また明後日の方向へ。

 何故明後日の方向へ投げるんだろうか、投げられないのだろうか。
 違う違う!全然違う!

 10巻の作者コメントにこうあります。
このお話は、変な漫画風だけど中身は「ど真ん中の少女漫画」「ど真ん中の学園もの」「ど真ん中のエンターテイメント」を私なりに目指し、たまにはまっすぐなまんがを! と最後の1ページまで直球を投げ続けた…つもりです。

皆様にしっかりまっすぐ届いていればいいな、と最後に願うばかりです。

 そうなんです。この漫画はずっと直球を投げてきていたんです。
 ずっと読者から見て明後日の方向へボールを投げていたのは「読者として(作者との)軸がぶれていた」からなんです。
 10巻の最終巻で作者は私たち読み手が「本来の意味からずれているところから見てるよ」と教えてくれます。そのズレはとんでもないものです。
 もうこの漫画の意味合いを根本から変えてしまう。上で私が書いた「思春期特有の心のうんぬんかんぬん」とか、もう全く意味が違う、全然違う、そもそもこれはそんな話ではない。

 『卒業』の本当の意味がどういうことなのか、それは最後にわかります。それは9巻までしか読んでいない人には「絶対に」わからない。

 何故主人公、真白は男の体と女の体を両方持って生まれてきたのか、何故彼は男である自分と女である自分で揺れ続けているのか、そういったことが頭の中のもやが晴れるように一気にわかる。それが10巻。読んでてゾクゾクしました。

1巻から一気に10巻まで1時間ほどで読み終えてしまいました。でも夢のような1時間でした。
 夢ってどんなに長くても寝てる時間分(6時間睡眠なら6時間分)しか見れないじゃないですか(実際にはそれも無理だけど)。
 でも夢の世界では何日も経つ夢を見ることってあります。それだけじゃなくて、何年分も一気に進むことも可能だったりします。

 この漫画を読んでいて、まさにそんな気持ちを味わいました。漫画を読んでいたのは小一時間だけれど、頭の中では完璧に5時間は経過していました。それくらいすごかった。この漫画は。


 最後の10巻の展開は、もしかしたら人によっては嫌、というか思っていたのと違う、と感じるかもしれません。それでも圧倒的多数の人がこの最後の展開に震撼すると思う。
 この文章を書いている間も、この漫画のことを思い出して興奮(性的な意味ではなく)しっぱなしですよ。それくらいすごい。

 ティーンエイジャーなら是非、ティーンエイジャーじゃなくても是非とも見るべき漫画です。
 作者が投げてくるまっすぐなボールを、あなたは受け取ることができるだろうか。