2008年05月13日
非モテの代表が賞を受賞
現実入門はてなとかを見てると時々非モテ論(?)のような話があって、大抵は自分のそれまでの行動を置いといて自分がいかに恵まれていないのかを力説するような理論が多かったり、非コミュと相まって寂しい、みたいな話に終始してたりします。
で、そういった話は上でも書いているとおり、大抵自分のことだけを述べて終わるか、もしくは誰か私生活(ネット以外の)が充実している人の充実しているエントリに対して文句をたれてるだけで、具体的な出版物なんかから引用したりだとか、そういう話が無いのが残念に思っていました。
私が知る限り(と言っても小さい世界ですが)、「非モテ」と言って彼の右に出る人はいないと思う。
それが穂村弘、という人です。
この人、会社員であり、歌人であり、エッセイストである、というものすごい人なんですが、その穂村弘さんが賞を受賞していました。
第19回伊藤整文学賞(伊藤整文学賞の会など主催)の選考会が8日、東京都内で開かれ、小説部門に荻野アンナ氏の「蟹と彼と私」(集英社)、評論部門に穂村弘氏の「短歌の友人」(河出書房新社)が選ばれた。副賞100万円。贈呈式は6月13日午後5時半、北海道小樽市の小樽グランドホテルで。(朝日)
最近はこの人の著作とかは買っていなかったけれど、この人のエッセイはホントに大好きです。
何がすごいってこの人、文章から非モテ臭がにじみ出てるのに、読んでて面白いところがすごい。
私の素敵レベルは低い。容姿が平凡な上に、自意識が強すぎて身のこなしがぎくしゃくしている。声も変らしい。すぐ近くでしゃべっているのに、なんだか遠くから聞こえてくるみたい、とよく言われる。無意味な忍法のようだ。
だが、と私は思う。本当は何もかもちがうのである。私は忍者ではない。私しか知らないことだが、実は、今ここにいる私は「私のリハーサル」なのである。これはまだ本番ではない。素敵レベルが低いのはそのためなのだ。芋虫が蝶に変わるように、或る日、私は本当の私になる。
マネキンが着ている服を見てかっこいいなと思う。
早速買って帰って自分が着てみると、あまりにも印象がちがって驚く。マネキン着用時にあんなに素敵だったシャツが、鏡の中でへたっと死んでいる。これは、と私は思う。やはり僕のせいなんだろうな。
私は今年四十一になるのだが、結婚したことが無く、子供を持ったことが無く、家を買ったことがない。その理由はこわいからである。
高校生の頃、一年の始めにカレンダーをみて、二月十四日が日曜日だとほっとした。日曜日には学校はない。バレンタインデーの試練を受けなくても済む。期待してはいけないと思いつつ、どうしても期待をしてしまい、ひたすら緊張して一日を過ごしたあげくに何も起こらないというあの試練を。
これは全部「本当はちがうんだ日記」という本を適当にパラパラめくって目に付いたところを抜粋しただけだけれど、それでもこれだけの物があります。
すぐに引っ張り出せるところに無かったので書いてませんが、一番最初のエッセイである「世界音痴」なんかはもっとこういった文章が多かった気がします。
確か回転寿司に入ってもコートが脱げないとか、ボーリングで周りの人と話せない、とかそういう文章が書いてあった気がします。
この人のエッセイのすごいところは、こういう他の人なら愚痴ともとれる事を書いていながら、それでいてすごく面白いところだと思ってるんですよね。
だって普通で考えてわかるけれど、他人の愚痴ってのは本当に面白くない。男の人は愚痴を聞いてる途中で勝手に解決策を聞いてもいないのに話し出して、ただ話を聞いて欲しい女の人の反感を買う、なんて事が書かれたりしていますが、それは愚痴を聞くのが苦痛だからなんじゃないかと思います。
そんな話はとっとと終わらせたい、という気持ちがあって男の人は相手の愚痴を遮って解決策を提示してしまうのかもしれない。
唯一愚痴を聞いて楽しいのは同じような境遇にいる人だけだと思う。
この穂村さんの文章のすごいのは、共感できるところは当然面白いのですが、共感できないところであっても文章の内容自体が面白いんですよ。
例えばまた手元にある「本当はちがうんだ日記」から書きますが、その中に「あだ名」という話があります。
これは子供の頃からあだ名というものをつけられることが無かった著者が、「○○ができないのはあだ名が無かったからだ」とうお話なのですが、そこの最後の段落がすごい。
先日、上野駅のトイレに入ろうとしたら満員だった。全部の便器がふさがっているのをみた瞬間に、だめだ、と思う。私にはその後ろに並んで待つことができないのだ。くるっと振り向いて引き返そうとした私を、ちょうど入ってきたおじさんが手で遮って、ほら、空いたよ、とひとつの便器を指さした。胸が熱くなって涙が出る。おじさん、優しいおじさん。ぼく、ぼく、あだ名がないんです。
全文を読まないでここだけ抜き出されてもさっぱりかもしれませんが、個人的にこの文章はとてもすごいと思うんですよね。
私自体は文章のテクニックだとか何だとか全く知りませんが、この文章にとても引きつけられてしまいます。
私は子供の頃からずっとあだ名で呼ばれ続けていたので、あだ名を持ってないことについて全く共感できませんが、それでもこの人の文章はホントに面白い。
冒頭でこの人の「現実入門」という本を紹介していますが、この本は引用部分でも書いているような、自分の本当はまだ始まっていない、と考えている穂村さんが、現実を見つめ直すために、今まで自分が避けてきたことにチャレンジする本です。
一番最初は確か献血で、一番最後はなんとプロポーズをします。
それがどうなるのかはここでは書きませんが、この人のエッセイを読むと、ものすごい非モテっぷりが描かれていますが、その彼だってプロポーズをするわけですよ。
だから非モテだ非モテだとネットで愚痴っている時間があるのならば、現実入門ではないけれど現実を見つめ直して行動を起こした方がいいのではないか、そんな風な気がします。




