フェイト/ステイナイト[レアルタ・ヌア] extra edition


 もう結構前の話だと思うけれど、「ケーキ - 福耳コラム」というエントリがあって、それが書かれた時から思ったのだけれど、その時はなんか真面目な話になっているっぽかったので書かなかったのですが、今となってはまぁ大丈夫だろうって事で書いてみます。

「百貨店という業態はある時期、例えばHanako世代という世代に対応して衣料品販売業態を構築したら、その世代を常連として囲い込んだ分、若者からは「おばさんが服を買いに行くところ」というイメージもついてしまった、みたいな話をしてもらった。
(中略)
後でリアクションペーパーに書かれた意見質問などは、それなりに興味深く、なるほどちゃんと聞いていたなというのもそこそこあったのですが、驚いたのが、
「でもそうやって百貨店がおばちゃんくさくなって売れなくなったら、百貨店がかわいそうじゃないですか。」という意見。(ケーキ - 福耳コラム)


四川の震災のニュースを挙げてトリアージの概念を説明した。絶対的に医療資源が不足しているところでは、「もう助かりそうにない患者」と「患者自身が処置したら大丈夫な患者」はカテゴライズして分けて、その間の「治療しなければ助からないが治療すれば助かるかも」というところに有限の医療資源を配分する、というシステムがあるんだよ、ということを説明したら、やっぱり女子学生のかなりの部分から「かわいそうだ」という反応があった。
(中略)
「可哀想じゃないですか致命傷の人を見捨てるなんて」。でもそういう非常事態では、特に医療資源は有限だからこそ、適切に配分しなければならないという考えなんだよ、とくどく説明した。(ケーキ - 福耳コラム)


 これを読んで私が一番最初に思ったのは「ああ、Fateの話だな」ってことですよ。
 Fateは文学、CLANNADは人生、のFate。Fate/stay nightの遠坂ルートです。

 詳しくはやってもらった方がいいのであまり書きませんが、この中の話では「目の前の人を助けるか、目の前の人を見捨ててもっとたくさんの人を助けるか」って言う意見の対立みたいなものが描かれているわけですよ。

「......じゃない」

「......なんかじゃ、ない......!」

「.................!」

「......、じゃない......!」

「......なんかじゃ、ない......!」

「......間違い、なんかじゃない......!」

「――――決して、間違いなんかじゃないんだから......!」

 いやー、熱いですねぇ。またFateをやりたくなってきた。

 もうね、これだけ言いたかっただけです。誰かが言うと思っていたのだけれど、誰も言わないから自分で書いておくことにしました。


 真面目な話をすると、多分そういう感想を言う学生の人たちはオセロとか将棋とか囲碁とかをあまりやったことがないんじゃないかなぁ。という感想です。
 あとは三国志とかそういう実際の歴史を扱った物語なんかを読んだことないんだろうなぁとかそういうこと。

 将棋なんかのゲームをやったことがある人(多分ほとんどの人がやったことあると思うけど)ならわかると思うけれど、取られるの前提で駒を進める事ってあると思うんですよ。思うというか、そういう風にしないと勝てるわけないですし。
 それを「この歩が取られると可哀想」って言って駒を動かさない人はいないと思います。

 将棋にしてもチェスにしても囲碁にしても元を正せば戦争ゲームなので、これらは全て戦争における人だと置き換えることも出来るわけで、そういう風に考えれば何かを犠牲にして何かを生かす、という考え方は当たり前のような気がします。

 そういう(将棋におけるプレイヤーのような)俯瞰的な視点に立てないと理解できないのかもしれませんね。

 三国志なんかを読んでみるとわかるけれど、同じような感じで死ぬの前提で出陣する部隊もあるわけで、何でそんなことをするかと言えば当然そうしなければ全滅するかもしれないからだけれど、それを前にして「死ぬってわかってるのに出陣させるなんて可哀想だ」なんていう事を言ってたらみんな殺されてしまいます。
 そもそもまともな状態であっても戦争の先陣なんて死ぬの前提ですもんね。

 漫画とかアニメとかゲームはそう言うことあまりないですもんね。
 ブラックジャックなんかが分かり易いと思うけれど、彼は何でも治してしまいますもんね。
 40人をいっぺんに手術して全員助けたりしてますし。
 そういうのを見てたら「助けないのは可哀想」って思ってしまうかも。基本的にブラックジャックは全員救いますからね。
 そういう医者が実際に何百人もいればいいのかもしれないけれど、実際の世界ではそんなこともないですし。

 他にもゲームでもシミュレーションRPGなんかでも誰かが「おとりになる」とか言っても結局助かることが多いし、死んでしまったら2度と復活しないゲームだったら助かるまで何回もやり直すし、頑張れば助けることが出来るようにゲームができたりする。

 そういうものしか知らないで育ってきたならやっぱりそういう「可哀想」という感情を持つのもしょうがないような気がしてきた。


 自分の話をすると、そういう風に、瀕死の人はほっといて処置を施せば助かる可能性が高い人を優先する、というのはわかります。そうしないと変だし。
 この前NHKでもやってましたが、アメリカではインフルエンザが爆発的に流行った時に薬を投与する優先順位を決めているらしいです。
 それによると赤ちゃんや子供の方がお年寄りよりも優先されることになってる。
 そうしないと薬を打たなかった人が全員死んだ時にお年寄りだけ残ってたってどうしようもない、ってのがあるから当然そうなるわけですよ。
 それは理解できます。

 ただ、仮に自分が医者だとして目の前の瀕死の人を「君はもう助からないから」なんて見捨てていけるかというとどうなんでしょうかね……。
 こういうのは目の前で線路に落ちた人を助けようとして死んでしまう人や、硫化水素自殺をした人を助けようとして一緒に死んでしまう人なんかと同じだとは思いますが、やっぱり見殺しにするのはためらわれるんじゃないかなぁ、なんて思います。

 何が言いたかったのかよくわからない文章ですが、Fateは面白いのでまだやったことない人は是非やってみてください、ということで適当に閉めます。