そう言うことは先に言ってよ!!!
最終巻なんてさ……、だったらまだ読まなかったよ!
頭から文章を読んで、最後までよんで、そこにある「(了)」の文字。
「え……? まさかまさか……、えっ! ええーーーーーーっ!?」
後書きを読む、祥子様と祐巳の物語は、これで、終わりですって……。
あああああああああああああ、読んじゃったじゃないか。どうしてくれるのよ。終わっちゃった……、終わっちゃったよ。俺の中でもこの物語が終わっちゃったよ。
最終巻は読まない。ホントを言うと読まないわけじゃない。読む。読むことは読むけれど、それは何年も後の話だ。もしくは新シリーズが始まってからの話。そうなるまでは読まない、それが俺のジャスティスだ。
物語が終わってしまうのは悲しいけれど、それは別に悪いことではない。始まりがあれば終わりがあるのだ。むしろ終わりがあるからこそその過程が美しいのだと思う。卒業してしまうことがわかっているからこそ一つ一つのイベントに対して愛おしく感じられる、それはそうだ。間違いない。でもね、終わらせるタイミングは自分で選びたかったのよ。
惜しまれながら終わってしまった物語はいくつもある。例えば魔術士オーフェンなんかもそうだ。これの最終巻は発売日に買って三年ぐらい経ってから読んだ。スレイヤーズもそう。最終巻は発売日に買う。でも最終巻を読むのは自分の中でその物語を終わらせられる覚悟が出来てからなんですよ。
それまでに既刊の物をあと2回ぐらいは読み直したかった。私にとっては最終巻というのを読んでしまったらそこで物語が終わってしまう。要するに消化してしまうんですよ。最終回がわかってしまうと、その過程を読んでも「最後はここにたどり着く」という風に読んでしまう。それが自分には嫌なのだ。どうしても。
これはきっとこの先祐巳と瞳子のきゃっきゃうふふ的な展開があるに違いない、と思っていてもそれが書かれないまま最終巻は終わってしまったという事実を知ってしまったらそういう妄想に浸ることもできない。もちろん自分の脳内で補完することは出来るけれども。でも、公式でそういう展開になったらいいなぁと言う願いは叶えられることは無いとわかってしまう。
護君に女神の祝福を、でぃ・えっち・えぃ、両方とも既に終わってしまったラノベだけれど、どちらもまだ最終巻を読んでいない。読まなければ永久に終わりは来ない。いくらでも未来のことが想像出来る。それが好きなんだ、楽しいんだ。結末なんて知りたくない、未来なんて何が起きるかわからないから楽しい、そう言うのに似た感情なのかもしれない。
だから、だからこそ、新シリーズの発売を早く! 熱望します! 渇望していると言ってもいい。新シリーズが始まればまたあれこれ想像出来る。自分の脳内にいくらでも展開することができるのだから。別に時系列的に続きじゃなくてもいい。瞳子とかが三年になってしまっているところから始まってもいい。それはそれで間の世界を妄想で埋めることが出来るのだから。
自分の妄想、想像と正規の物のギャップを埋めるのが好きなのかもしれない。事前に今後の展開はこうなるに違いない! と考えて読む、そうすると「あ、ここは予想した通り!」とか「ぐわっ、こうくるかぁ、さすがです!」みたいな事を考えながら読める。でも最終巻だとそれが出来ない。今後の世界を想像、妄想することはいくらでも出来るけれど、その妄想に対して正式にはこうなりました、というのがないのだ。それが寂しい。
あ、ちなみに終わってしまったことについても、物語の幕の引き方も全く文句はありません。単に最終巻だってわかっていたらまだ読まなかったってだけの話。
買ってすぐに読んでしまったのが間違いだったなぁ。情報収集してから読めばよかったよ、という後悔。

マリア様がみてるハローグッバイ (コバルト文庫 こ 7-60)
著者:今野 緒雪
販売元:集英社
発売日:2008-12-26
おすすめ度:
クチコミを見る
最終巻なんてさ……、だったらまだ読まなかったよ!
頭から文章を読んで、最後までよんで、そこにある「(了)」の文字。
「え……? まさかまさか……、えっ! ええーーーーーーっ!?」
後書きを読む、祥子様と祐巳の物語は、これで、終わりですって……。
あああああああああああああ、読んじゃったじゃないか。どうしてくれるのよ。終わっちゃった……、終わっちゃったよ。俺の中でもこの物語が終わっちゃったよ。
最終巻は読まない。ホントを言うと読まないわけじゃない。読む。読むことは読むけれど、それは何年も後の話だ。もしくは新シリーズが始まってからの話。そうなるまでは読まない、それが俺のジャスティスだ。
物語が終わってしまうのは悲しいけれど、それは別に悪いことではない。始まりがあれば終わりがあるのだ。むしろ終わりがあるからこそその過程が美しいのだと思う。卒業してしまうことがわかっているからこそ一つ一つのイベントに対して愛おしく感じられる、それはそうだ。間違いない。でもね、終わらせるタイミングは自分で選びたかったのよ。
惜しまれながら終わってしまった物語はいくつもある。例えば魔術士オーフェンなんかもそうだ。これの最終巻は発売日に買って三年ぐらい経ってから読んだ。スレイヤーズもそう。最終巻は発売日に買う。でも最終巻を読むのは自分の中でその物語を終わらせられる覚悟が出来てからなんですよ。
それまでに既刊の物をあと2回ぐらいは読み直したかった。私にとっては最終巻というのを読んでしまったらそこで物語が終わってしまう。要するに消化してしまうんですよ。最終回がわかってしまうと、その過程を読んでも「最後はここにたどり着く」という風に読んでしまう。それが自分には嫌なのだ。どうしても。
これはきっとこの先祐巳と瞳子のきゃっきゃうふふ的な展開があるに違いない、と思っていてもそれが書かれないまま最終巻は終わってしまったという事実を知ってしまったらそういう妄想に浸ることもできない。もちろん自分の脳内で補完することは出来るけれども。でも、公式でそういう展開になったらいいなぁと言う願いは叶えられることは無いとわかってしまう。
護君に女神の祝福を、でぃ・えっち・えぃ、両方とも既に終わってしまったラノベだけれど、どちらもまだ最終巻を読んでいない。読まなければ永久に終わりは来ない。いくらでも未来のことが想像出来る。それが好きなんだ、楽しいんだ。結末なんて知りたくない、未来なんて何が起きるかわからないから楽しい、そう言うのに似た感情なのかもしれない。
だから、だからこそ、新シリーズの発売を早く! 熱望します! 渇望していると言ってもいい。新シリーズが始まればまたあれこれ想像出来る。自分の脳内にいくらでも展開することができるのだから。別に時系列的に続きじゃなくてもいい。瞳子とかが三年になってしまっているところから始まってもいい。それはそれで間の世界を妄想で埋めることが出来るのだから。
自分の妄想、想像と正規の物のギャップを埋めるのが好きなのかもしれない。事前に今後の展開はこうなるに違いない! と考えて読む、そうすると「あ、ここは予想した通り!」とか「ぐわっ、こうくるかぁ、さすがです!」みたいな事を考えながら読める。でも最終巻だとそれが出来ない。今後の世界を想像、妄想することはいくらでも出来るけれど、その妄想に対して正式にはこうなりました、というのがないのだ。それが寂しい。
あ、ちなみに終わってしまったことについても、物語の幕の引き方も全く文句はありません。単に最終巻だってわかっていたらまだ読まなかったってだけの話。
買ってすぐに読んでしまったのが間違いだったなぁ。情報収集してから読めばよかったよ、という後悔。

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